府中競艇場(東京都)
1954(昭29)年〜1955(昭30)年

1954(昭29)年4月1日:府中町、多磨村、西府村の三ヵ町村が町村合併促進法により都下最初の市制を実施し府中市が誕生した
前年(昭28)年1月28日付けで収益事業の一環として
自治庁告示第23号をもって指定された競輪事業(
京王閣競輪)を三ヵ町村の一部事務組合にて行っていたが
合併後の
府中市単独施行とはいかず調布との二施行者にての開催をやむなくされた

弱体町村の合併で赤字財政であった新生
府中市
東京モーターボート西武鉄道の要請により多摩村時代に審議されていた
市の南側を流れる多摩川への競艇場(
府中競走場)設置に踏み切った

1953(昭28)年6月9日:青梅市東京モーターボートと正式契約を締結

旧多摩村の候補地(現:
多摩川競艇場の場所)には隣接する中学校があり
当時の競艇のエンジン音はかなりな爆音
その中学校の移転問題を余儀なくされた
折衝の結果
施行者(
東京モーターボート株式会社)は中学校の移転に要する用地を買収し校舎を新築し無償提供する
多摩村は現校舎及び学校敷地等を無償で会社に払下げる
設置された競艇場については施行者としての使用を承諾する
という契約を締結した


1954(昭29)年5月1日:多摩川線常久駅が競艇場前駅に改称
同年6月9日:
青梅市主催により府中競走場が開催される
この日の入場者: 2,924人、売上額: 5,348,000円
砂利採取跡を利用した競走場では水深の確保のため
浅くなると全員が水中に入り
シャベルやツルハシで水底の凹凸を均しながらレースを進めたらしい

1955(昭30)年2月:
東京モーターボート府中競艇場へと商号変更
同年3月:府中競艇第2節2日目、水深が30cmに低下しレースを中止する
これを機に
府中競艇場は経営不振におちいり
その後、競艇場の経営を断念する


1955(昭30)年5月9日:新たな施行者、
復興社と暫定契約をし
府中競艇場から多摩川競艇場と改名し
本開催より複勝式を廃止、連勝式(連勝単式)のみの発売とし再開される




東京都府中市是政4−11